お侍様 小劇場

   “芥子紅” (お侍 番外編 52)
 


そろそろ四十の半ばも過ぎる年頃の、
されど女っ気のからむ話は一度として聞いたことのない御仁である。
由緒正しき旧家の、しかも宗家の当主である以上、
その品行素行は清廉であるに越したことはないのかも知れぬが、
後継のことを考えれば、伴侶となるべき女性をと、
当人が忙しくとも周囲が気を回すだろう、格や立場にある人だろに。
嫋やかな淑女が粛々と付き従うでなし、
華やかな美女が妖冶嫣然と寄り添うでなし、
そのような“誰ぞ”をそういえば誰も思いつけない、不思議な殿御。

仕事に忙殺されての没頭するあまり、
社交術はあくまでも業務用の枠を出ることはなく。
そんな結果、野暮ったく枯れ果てた堅物…というよな人物じゃあない。
秘書室長という職柄から、一歩引いた位置から大局見回す必要があっての、
あまり前へ前へとしゃしゃり出ないことを常としている人物なれど。
それはあくまで、職務上の顔。
本当に本当に稀なことながら、
髪の長いは陪臣たる目印かと、自然にそうと思わすような、
上背があっても目立たなくいられる そんな才、
もはや不要と解放されるよな場にあっては。
鷹揚にして快活な振る舞いをこなしもするし、
そして、そんな振る舞いがちっとも違和感とならぬ、
重厚で頼もしい、雄々しい肢体を保っておいで。
さして目立たぬ型のスーツを普通に着こなしていても、
その胸元が内からほのかに押し出されての精悍さを隠し切れない。
肩や背の厚さ広さの醸す包容力は、
威容さえ滲む男臭さの蠱惑をたたえ。
それでいてその年頃を曖昧にするよな 切れある身ごなしは、
居合わせた者が揃って眸を奪われてしまうほどに印象的で。

  声をことさら高める訳じゃない、
  人々の輪へと割り込む訳じゃない。だのに

実直でも、華美で快活でも、
その顔しか持たぬどこか単調な存在に比べれば。
言葉少なにいることが、錯綜したもの内面に匂わせ、
そこが同時に尋深い懐ろを持つ人性をも感じさせる。
そんな奥深い存在は、
それだけで人の気を惹き、関心を招くことも多々あるというに。

  なのに、何故だか

影が夜陰へ溶け込むように、
ふっとその身を晦ませて……逼塞するよに表へ出なくなる。
社交の場にはあくまでも社用でしか出向かず、
それ以外の稀な機会であればあるほど、
その“次”は一体いつになるのやら。
途轍もなく大きな派閥の催したレセプションの只中や、
はたまた、街中が沸いてるイベントの最中、
空中に据えたようなラウンジからそれを見下ろすよな格の。
ひょんな会合の中へと顔を姿を見せては、
その場限りの影のよに、行方を晦ます彼こそは、
特別な世界の人々を、更に撹乱してしまえる不思議な存在とも言えて。


  「…っ。」


そんな彼を追う者が、決していない訳じゃあない。
一体どこの誰なのか、どうすればこちらからも接触出来るのか。
どこの誰かなんてどうでもいい。
ただ本人を捕まえたい、
その姿をその行動を見ていたいとする、
一歩間違うと“つきまとい”の罪を問われかねないものを求める筋の眸が、
どんな奇遇を掴んだか、至極至近な接近を果たすことも稀にはあって。
よほどに時間と財を持て余してでもない限り、
どんな奇遇が味方をしても、そうそう容易なことじゃあない筈。

  それが……その筈が、
  間違いなくのそのお人を、すぐの間近に捕らえた存在がある。

都心の一角、雑踏の中。
ここ数日を、必ずその誰かと共にいる彼であると、
執心ぶりを知ってのこと、教えてくれたお節介がいて。
繁華街の真ん中に位置する、そこは大きな交差点。
ファッショナブルなビルが見下ろす広々とした舗道には、
平日のまだ陽も高いのに、種々様々な人があふれ。
信号が変わるごと、引っ切りなしに行き交う車と人が、
乱雑なモザイクのように取り留めのない、色彩と反射光とを投げては流れゆく。
国道本線が侵入する側、そこをじいと見据えておれば、
いつの間にだか気づかぬうちに、
深みのある漆黒の、優雅なフォルムをしたセダンが信号を待っての停車しており。

  その運転席に……彼がいた。

ハッとし、息を呑むと身を起こす。
ハンドルに軽く載せられた手の、重々しい精悍さ。
いかにも大人の男性の、頼もしくも力強い様はどうだろう。
スーツ越しでもようよう判る、
やはりしっかとした充実に満ちた腕と肩とが、窓の裾すれすれに覗き、
彫の深い風貌、その横顔を縁取る稜線が案外と繊細で。
その稜線を際立たせている車内の暗がりの中、

  ちらりと、何かの色彩が浮かぶ。

同乗者が居るのは、彼の見せる態度からも明らかで。
その相手と何か話してでもいるものか、
口元が時折動いては、目許たわませ小さく笑う。
そんな様子の甘やかさへと、何とも切なる感情がこの胸を痛いほどに振り絞り。
その胸の絞られようがそのまま、彼のすぐ傍らにいる誰かへの、
ちりちりとした妬心へと変貌するのの、何とたやすい還元か。
遠くて小さな窓の中のこと。
そちらは陰に没してもおり、どんな女かまるで見えない。
ただ、時折ちらちらとそこへひらめく白さがあって、
それがお相手の顔、頬や横顔であるらしく。
すぐの間近へ寄れぬ身の歯痒さに、それしか出来ぬとせめての念じ、
じいと見つめ続けておれば、

  白い断片が、顔半分という形を作る。

悪戯っ気でも起こしたか、ひょいと彼がその身を引き寄せたらしく。
はっとしたよな感情乗せて、
丸ぁるく形どられた赤い口許が、いやにくっきり見て取れた。
漆黒の中へと浮かんだ、絖絹のような白い肌。
そこへの拮抗も鮮やかに、濡れた紅にて描かれた口許は。
夜陰にも似た暗がりの中へと咲いたせいだろか、
いやに妖冶な形に見えもして。
昼ひなかの明るさの中だというに、
他人の閨を覗いてしまったかのよな、
そんな淫靡な錯覚さえも、招いてこちらを圧倒する。

  「………。」

当の彼女が驚いたのは、ほんの一瞬であったのか。
そのまま合わさった紅の口唇は、
次には落ち着き払っての、婀娜な苦笑を滲ませ、そして。


  彼らを乗せた黒塗りのセダンは、
  軽快に発進すると、そのまま他の車の行き交う奔流の中へ、
  あっさりと呑まれて見えなくなった……。








  ◇◇◇



実生活ではあくまでも、質実剛健、地味を装っている勘兵衛だけれど。
その実、それはそれは蠱惑に満ちたお人だからこそ、
そういうお顔を見てしまった、知ってしまった後遺症、
そんな彼を追う者が、これまでだって決していなかった訳じゃあない。
一体どこの誰なのか、どうすればこちらからも接触出来るのか。
表向きの顔や肩書を、何とか知ることが出来たとて、
昼間ひなかは商社の中か会合先か、
ビジネスという厳重な囲いの中に身を置く人で。
社の重鎮らに連なる役職だからか、
自宅を始めとするプライベートは 堅く封され公表されぬ。
それに、

  そんな野暮ったい現実はこちらも要らぬと

ただ本人を捕まえたい、
その姿をその行動を見ていたいとする、
一歩間違うと“つきまとい”の罪を問われかねないものを求める筋の眸が、
どんな奇遇を掴んだか、至極至近な接近を果たすことも稀にはあって。

  金に糸目はつけぬ、どんな無体も地位で覆える。
  実は妻子があっての、平凡堅実な生活送るのなんて見たくも知りたくもない。
  いやさ、そんなところに捨て置かず、
  いっそのこと…自分の豪奢な別邸へ、攫って隠してしまおうか。

そこまで身勝手な我儘を、
誰に非難されることもなく、
これまでずっと、難なく押し通してきたという危険で厄介なクチに、
強引にも追われてしまうことも…実を言うと多々あった。
とはいえ…そんなこんなも、
こちらの真の素性を深くは知らぬからこそ出来る無体であり。
後日にでも ご亭主や実家の父御なんぞへ、
それとなくのクギを刺しさえすればいいだけの話。
上級のお家柄や権勢者の身内であればあるほど、
こちらの存在にも通じておいでだからであり。
そこまでの格じゃあないならないで、
直接の発言が最も効果のあろうお人を介在させればいいだけのこと。
そして、制する者がないからこその甘やかされて、
人を人とも思わぬような無体をし尽くしていたのだろ、
高慢非情な令嬢・子息や奥方たちはというと。
それまでの行状ごとキツイ叱咤を食らっての、
二度と世に出られぬくらいの罰を受け、
別荘に無期限の蟄居…などという憂き目に遭うのがセオリーなので。

 “最初から そうなさればいいものを…。”

こんな…相手本人をますますと煮えさすような、
もっともっとと煽って振り回すような真似、
わざわざなさる小意地の悪さに、
ついつい零れた溜息が一つ。
それをどう聞きとがめたものか、

 「…疲れたか?」

街中を往く幹線道路からは離れ、郊外へと向かう高架の道をゆく。
こんなに早い時間帯では、道もがらがらに空いており、
空は快晴、軽快爽快なことこの上なく…と。
隣りにおわす御主の様子は、至って楽しげなばかりであり。
掛けていただいたお声へ、いいえとかぶりを振りながら、
思い出したようにダッシュボードからティッシュを取り出すと、
口許の紅、ぐいと拭い去る七郎次だ。
勘兵衛の周辺を、何物かが探る動きがあるとの報告があったのは、
先の連休、とあるレセプションが催された晩が明けての、すぐ翌日の午後のこと。
務めのうちとして何か誰かを精査することも基本の内とする“証しの一族”。
真の姿を晒してはならぬし、
ましてや惣領の勘兵衛へ近づく者への用心、欠かさないのは当然で。
どこぞの組織が善くも悪くも探りの手を向けて来たのかと思や、
単なる好奇心からの“追っかけ”という手合いであるらしく。
務めにまつわる火の粉でないなら、何ら問題はないけれど、
ただ…その身に過分な権勢をまとった手合いらしいのは捨て置けぬ。
空気を読めぬまま、強引なことをやらかしてくるやも知れぬからだが、
ならばと、返り討ちにするのは容易いし、
くどいようだが…当人の頭越しの大外回りから、
やんわりと阻止する術もなくはないのに。
どうしてだろか、時折、このように芝居がかった策を執ることがある。
故意にバイザーも降ろした暗い車内、
お顔を伏せがちにし、口許へ紅までほどこして同座していた七郎次が、
遠目にはどう見えたかなんて明白なこと。
先程 通過した大きな交差点、
巧妙にタイミングを読んだ上で、信号待ちに引っ掛かるよう乗り入れたその上、
妙に身を起こしたり沈めたりしていた勘兵衛だったので、
ああここを誰ぞに見せるのかと気づいた七郎次を、
不意にぐいと引き寄せた大胆さには、素で驚いてしまいもし。
そんなだった自分の慌てようもまた、
思わぬおまけと楽しまれた御主だったのではあるまいか。

 「……っ。」

新緑のしたたる街路樹を、遠く近くに望める見晴らしが、
不意にすすすっと横から正面へと回り込む。
気づかぬうちにサービスエリアに入っていたらしく、
こちらもまた、車も人影も少ない駐車場へと乗り入れたセダンを、
勘兵衛は奥まったフェンス近いところへ寄せて停車させ、
だが、サイドブレーキをかけ、エンジンも切ったのに、
降りようとする気配はないままで。
風を入れるべく降ろしてあった窓からは、
停まってもなお、爽やかな風が吹き渡って来。
皐月の陽盛りのもたらす熱を、くるくると掻き混ぜてゆくばかり。
ややあって、

 「浮かぬ顔だの。」
 「……。」

七郎次がこうして連れ出されたのは、今朝いきなり申しつかってのことであり。
だが、紅を渡されの、先程の交差点での行動だのを推して量れば、
ああ女性関係の例のアレかとの察しくらい、あっさりとついた。
そして、それへの対処に、何でまたこうも子供じみた真似をなさるのかと。
そこのところが少々遣る瀬ない彼でもある。
意見をするのは畏れ多いが、それでも言わずにはおれなくての つい。

 「お人が悪い。」

小声で返した七郎次だったのへ、
勘兵衛からの返事は何とも素っ気ない。

 「そうかの?」

梓川の報告では、こたびの女御も、
気に入った殿御には片っ端から強引なことを仕掛け、
迷惑掛け倒して来た女傑であるらしい…と淡々と連ね。
だったら、ここで灸をすえてやっても罰は当たるまいよと言いたいらしく。

 「それに。」

これはこっちの事情だが、
ご案じなさらずとも、女に追っかけられるだけの色香はまだありますよと、

 「判りやすく示唆しとかんと、いちいち煩い年寄り連中もおるだろうが。」
 「………。」

けろりと言ってのける、残酷な人。
跡取りを早ようと急かす人々、支家の重鎮らへも、
こんな形でクギを打ったまでよと。
してやったりというお顔を仄かに見せる勘兵衛だが、
その話題は七郎次にも、身がすくむほどに居たたまれないことであり。
そんな自分へも何かしら、含むところがあって加担させた彼なのかと、
ついついそこまで勘ぐってしまうのも、この際は無理はなかろうというところ。
宗家の惣領だというに、いつまでもいつまでも独り身を通しておいで。
周囲からのそんな話題が上がるたび、
案ずるなと、七郎次をだけ手放さぬと、苦くて甘い誓いを下さる御主。
ちゃんとお傍におりますのにと、告げてもその眸は笑いもせずに、
もどかしそうに黙り込むだけ。

 「………。」

今もまた、会話の途切れた場を埋めようともしないまま、
ただただ黙っておいでの勘兵衛で。
男臭さが上手に年輪を重ねておりますという、
渋みのほどよく深まった横顔を、こちらに晒しているばかり。
充実の極みにあろう頑健な肢体といい、
見識も深く、単純ではない錯綜を内に秘めた、
お人柄の豊かさといい。
これほどの男ぶりをした人物を、他には知らぬことが誇らしい反面、

 “一体 何と応じれば満足して下さるのだろうか。”

求められればこの身も開く、
待っておれとの仰せなら、いつまでだって待っている。
許しもなく どこへも行かぬと、私はあなたのものではありませぬかと、
いつだって示しているし、本心からのことで偽りなぞ欠片もない。
それだけでは足らぬなら、もはや自分には何も残されてはいないのに。

 「………。」

一番の間近に置いて下さる至福が、なのに時折息苦しい。
そんな切ない矛盾が、またもや胸へと押し寄せる。








  そして……


そんな憂いに息詰める、七郎次の白い横顔を 盗み見しつつ、

 “酷なのはお互い様ではないか。”

勘兵衛もまた、その胸中にて こそり溜息をこぼしていたりする。
こちらだとて、磊落なままに振る舞っているばかりじゃあない。
繊細でよく気がついて、機転が利いて行動も手早く。
一を言えば十の手配をこなせ、二十の結果を持ってくるような青年であり。
そんな有能なところはずんと後回しにしてでも、

  何より誰より、大切な人、愛しい存在なのに。

間違ったって困らせたいわけじゃあない。
ただ、後へと付き従うのではなくて、共に在ってほしいだけ。
なのに、どうあっても隣りへ並んではくれぬ七郎次であるのが、歯痒くて堪らない。
本意を語らず、主人を気遣うことを優先し、
いざとなれば我を捨て置けと言い出して、
こちらの背中を押したそのまま、去ってしまう側の人。
無理から組み敷いたあの晩に、
突き放して逃げる代わり、
精一杯微笑った彼だったのが、思えばすべての始まりで。
ただただそれが、それだけが、歯痒くて歯痒くて。

  一体どうすれば伝わるものだろか。

最初を掛け違えたボタンみたいで、だが、
一旦刻まれたもの、受け止めた心はそう簡単には戻せないから。
対ではあれど どこまでも交わらぬ、
どこまでも平行な線路のようなこの道行きに、
いっそ甘んじてしまおうか…。




  〜Fine〜 09.05.13.


  *そろそろ6月のオンリーを前に、
   ご本や企画へのカウントダウンに入られる皆様のお声が聞かれます。
   そこで…というのも滸がましいですし、
   いつぞやみたいなペースでというのも随分と無理がありますが、
   それでも応援させていただこうかなと、
   思い立っての応援週間。
   多少、ちみっと、ペースを上げて書かせていただきとうございますvv
   皆様、どうか頑張ってvv

   そののっけがこれというのが……なんだかなぁ。
(ううう)
   最初は、意味深な女性の影とやらと絡む、精悍なおっさまというの、
   何とか描写出来ないかと。
   つまりは艶っぽい路線を目指したんですがね。
   でも“女体化”を書けるほどの腕もなしなんで、
   結果、こんな半端なのと相成りました。
   う〜ん、要 精進でしょうか。


めるふぉvv
メルフォですvv

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